サッカー日記
ロナウジーニョ〜、デコ〜!
ロナウジーニョ〜、デコ〜!
魅せてくれましたね!
クラブワールドカップ準決勝、北中米カリブ海代表のアメリカ(メキシコ)対欧州代表のバルセロナ(スペイン)。
あいにくの雨だし、体調完全ではないのだろうけれど、それでも見せるときは魅せるね!
スーパープレーの数々、テレビ観戦だけれど、楽しませてもらいました。
やはりロナウジーニョの余裕あるプレースタイルは日本人選手にも
見習ってもらいたいね。
特に終了直前、バーにあたったシュート!
あそこまでタメにタメる、そこまでやるか!
アミーゴ!
日曜日の決勝はガチンコを楽しませてもらいまっせえ〜!
インテルナシナオル(ブラジル)うまい!
うまかったのは17歳のアレシャンドレパト、
舞台はクラブワールドカップ準決勝の対アルアハリ(エジプト)戦。
早いし、あわてないし、精度が高いシュートを打てる。
日本人プレイヤーだったら、37歳になってもゴール前ではどたばたしてしまう。
その辺の差はとてつもなく大きいと思ってるし、国際試合を見るといつも感じてしまう。
あのシュートは見事という他はないですね。
日曜日、バルセロナとの試合が楽しみい〜!
受験勉強の思い出
昔はもちろんネットで勉強なんて環境はなかったので、参考書からの一方通行的勉強法。
とにかく覚える、書いて覚える。
数学なんかは、とにかく問題集を何回も解いてみて身体で覚えるしかなかった。
そんなに楽しくはなかった。
今は、いいね全然、少なくとも楽しさの点では。
「個別指導塾アイリス」みたいな学習塾はなかったし。
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アウェ−でインド戦、前半は2-0
今日の日本はアウェ−でのインオ戦、赤道は近いけど高地だから以外にやりやすい。
前回の中東の暑さよりはいいんじゃないの。
前半で2-0.
しかし、ボ−ルを止める技術が未熟すぎるわ、ピッチで収めきれないわ、
まだまだだね。
前日のオシム語録:
「あらかじめ戦い方は決められない。相手の出方によって対応する。
決して受け身じゃないが相手が変化すれば、こちらも変化する。
最初から決められない。
裏をかくというのはあるが。ここは相手のホーム。
楽勝と考えるのは失礼。国際試合では相手をリスペクト(尊敬)するのが負けない秘けつだ」。
ガ−ナはアフリカの太陽のように強かった!
『私には目標はない』
『私には限界がないから、目標は超えてしまうので目標とはならない!』
なんてカッコイイオシム語録!!!
ホ−ムでやっても強いガ−ナには負けてしまう、日本A。
目標はないのか〜!
ガ−ナは太陽だった、日本はくすんでた。
ナンセンスじゃない北極探検帆船タラ号
正しい名前はフリチョフ・ナンセン、ノルウェ−人、探検家。
名前と違ってやった事は全然ナンセンスじゃなくて、北極探検してノルウェ−では偉人になりました。
彼の目標は北極点だったけど、それは達成できなかったのです。
このナンセンと同じような航路で、北極海を渡ろうというのがタラ号で、フランス・ロリアンを出港しました。
2年間の予定だそうです。
それまで、この私のブログ日記が健在ならいいんですが。
こういうロマンは素敵ですよねえ。
オシム語録その2
どんなに負けてもヘボ試合でも理想の高さをキ−プ、オシム監督、すばらっしい!
対イエメン戦、1-0で勝
引きっぱなしのイエメンなのに、だからこそ相変わらずの体たらく振りでようやっく一点。
「勝ってよかった」
「負けない時でも学ぶ事はある」
「好機を生かせないのは前と同じ」
イエメンからの質問
「どうして最強チ−ムを連れてこないのか」
日本のメデイアはこういうきつい質問をしない、できないのではないかと思う。
基本的に日本のメデイアは何一つ知らずに質問をする。
それはサッカ−に限った事ではないけど。
オシム語録その1
アウェ−で、サウジアラビア戦で、当然のように負けた日本チ−ムです。
「走ったが、考えなかった」
まだ犬の方がましかも
「子供のよう」
だって子供だもん、年だけ大人なんだもん
「自己破壊の行為だ、大人の選手なのに」
だから子供なんだって、破壊は子供の最大の喜びの遊びじゃん
発明超人ニコラ・テスラ
発明というとエジソンと言われるけど、このニコラ・テスラに比べると随分と俗物に見えてしまう。
それ程ニコラ・テスラはすごいと思う。
彼はセルビア人ギリシア正教司祭の父母の子として生まれ、姉が2人、兄デン、妹が1人、兄(12歳)が死亡。5歳頃から幻覚を頻繁にみたという。
1880年、オーストリア帝国グラーツのポリテクニック・スクール在学中に交流電磁誘導の原理を発見する。これって凄いよね。
1884年にアメリカに渡り、エジソンの会社・エジソン電灯に採用される。このころからエジソンとの接点というか、反発が生まれてたのかも。
何故なら、当時、直流電流による電力事業を展開していた社内にあって、テスラは交流電流による電力事業を提案してエジソンと対立。職を失うこととなるのです。
独立したテスラは、Tesla Electric Light Company を設立し、独自に交流電流による電力事業を推進し、特許を取得。
1888年5月16日、アメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行い、それに感銘を受けた億万長者ジョージ・ウェスティングハウスから100万ドルの研究費と特許の使用料を提供されることとなった。 テスラの発明した交流発電機は、ウェスティングハウス・エレクトリック社によりナイアガラの滝の発電所に取り付けられた。
エジソンとの確執をあらわすエピソード
『1917年、貧しい生活を送っていたテスラの元に、米国電気工学協会からエジソン勲章が授与されるという知らせが届いた。テスラはこれを断った。「私に名誉の勲章をくださるということですが、それに上着をつけてあなた方協会員の前で得意げに見せびらかせばよいという事ですか? あなた方は私の体を飾り立てるばかりで功績を認められそこなった私の頭とその画期的な発明には何も与えてくださらない。今日、あなた方の協会があるのは、おおかた私の頭とその産物が下地を与えたからだというのに』
またエジソンの有名な名言を皮肉って以下の言葉を残している
「天才とは99%の努力を1%の努力で覆す存在である」
1930年、エジソンとともにノーベル賞候補となるもこれを拒否。このためエジソンもノーベル賞を受けられなかった。これって皮肉だね、エジソンカリカリしたかもしれないね。

テスラ生誕150年記念イベントがこのサイトで開催されました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/
「テスラ小伝」あたりからご覧ください。
